昔 −むかし−

 築庭当時、延養亭の東には沢の池までの間に芝生を敷き、残りの平地は田畑でした。芝生の先には沢の池、園内の東端に楓を中心とした林の千入の森[ちしおのもり]を望み、さらに園外の操山がまるでこの庭の景色であるかのように姿を見せています。宝永2年に描かれた「月出の図」は、操山のどの位置に仲秋の月が登ってくるかを観測した絵図ですが、そこに描かれた山々はすべて後楽園の借景となっているものです。「ケシ山」と書かれた山は後楽園から約12キロ離れたところにある芥子山[けしごやま]ですが、延養亭からは遠くそれらの山々も見えていたことがわかります。庭園の明るく広々とした景色に加えて、山々が奥行きとなっていたようです。

 延養亭から南の廉池軒までの間にある黒い部分は田んぼです。綱政は、こうした手をかけないどこにでもある景色の中で農作業する人々を眺めているとおもしろく、1日があっという間に過ぎて、城に帰ることもつい忘れてしまう、と書き残しています(『竊吟集』林原美術館所蔵)。

延養亭前に広がる芝生と田畑、「月出の図」(後楽園所蔵) 300年前の借景


今 −いま−

 延養亭からは園内の景勝が一望できます。建物前で曲水の幅が広くなり、小さな池のようになり、一歩出た園内には芝生、大きな池、楓林の千入の森、さらに園外の操山が見渡せます。今は、借景保存のために茶畑背後の竹林の背丈を高くしており、芥子山の眺めは失われていますが、延養亭前からは、江戸時代さながらの明るく広々とした景色が見渡せます。
 延養亭から見える範囲に建つ建物には高さの制限がされ、借景を保存しています。

延養亭の室内から 藩主の居間、延養亭からの眺め。園外の山々が借景となっている。

延養亭前から南東 藩主の居間、延養亭からの眺め。園外の山々が借景となっている。

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