昔 −むかし−

 延養亭から南には、花葉の池と二色が岡が眺められます。築庭当時、二色が岡には山桜を中心に、楓、松が植えられ、春の花、秋の紅葉が楽しめる趣向の林となっていました。江戸時代後期の和歌には、桜が霞のように咲いているさまを讃えたものが残っています。
 延養亭と栄唱の間の前庭として眺める時、壮観な景色となっていたようです。治政は、栄唱の間に「望湖閣[ぼうこかく]」という別名を付け、栄唱の間からの景色を楽しんでいたようです。

 二色が岡の中には「花葉軒」(現在の茂松庵[もしょうあん])、地蔵堂、二天(現在は四天王堂)があり、林の中には園路が巡らされ、歩いても楽しめるようになっています。綱政の時代にはまだ木々も茂りあうほどではなかったようで、花葉軒では春の花、秋の紅葉を眺め来て、葉を落とす冬にはとても暖かな場所だ、という意味の歌を残しています。
 江戸時代を通じて、地蔵堂と四天王堂の祭礼は欠かさず行われ、池田家にとって大切にされてきた場所であったことも偲ばれます。

絵図・二色が岡


今 −いま−

 花葉の池のふちに立つ大立石[おおだていし]は、巨大な花崗岩を90数個に割って運び、もとの姿に組み上げたもので、存在感のある庭石として大名家の庭にふさわしい風格を漂わせています。
 現在の花葉の池は、昭和30年代に移植された花蓮「一天四海」(通称・大名ハス)が夏の風物詩となっています。

栄唱の間から撮った大立石

 二色が岡に建つ茂松庵は、戦災で焼失しましたが、昭和27年に復元されました。かつては、二色が岡の彩りをそのまま名前にした「花葉軒」と称されていましたが、明治初期に「茂松庵[もしょうあん]」と改称されています。

茂松庵

 二色が岡の林の様相は、幕末までには桜がわずかになっていたようで、明治中期に出された『後楽園誌』(木畑道夫)には、林は松と楓ばかりになっており、今や「二色」は秋の紅葉「錦」をたとえて言うほうがいい、と説明されています。
 戦後の松食い虫などの影響でさらに一変し、杉を中心とする林になっています。今は、街の中心部にありながら、静けさを楽しむ林になっています。

二色が岡

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