近年、林原美術館で確認された綱政の日記とも和歌集ともいえる『竊吟集』[せつぎんしゅう]には、築庭から間もない元禄2年の庭を眺めて、手をあまり加えていない田園風景の中では時間がたつのも忘れるという感慨が残されています。

 また、綱政時代の後楽園を描いた絵図「御茶屋御絵図」の書上によれば、園内に1200本近い桜があったようです。特に、園の南西部に位置する二色が岡は藩主がくつろぐ延養亭や栄唱の間の南に広がる前庭でもあり、春の花、秋の紅葉が壮観な眺めであったと想像できます。建物と二色が岡の間には花葉の池が広がり、巨岩の大立石[おおだていし]がどっしりとした風格を加えています。

 当初は、東の田園風景に加えて園外の操山を借景とする広大な眺めと、南の壮大な景色を座敷から眺める庭であったようです。今でも建物の前に立つと、まとまった景色が広がっているのは、こうした築庭当時からの性格が風景の中に残っているからでしょう。

田園のおもかげを伝える井田と茶畑

現在の栄唱橋と大立石

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