昭和9年の室戸台風、20年の戦災では大きな被害を受けました。いずれも江戸時代の絵図に基づいて復旧が進められましたが、園路の単純化など災害前と変化した部分もありました。現在の地割りは、直接的にはこの時の改修を引き継ぐものとなっています。
 また、昭和初期から後楽園のすぐ西を流れる旭川の浚渫工事が大規模に行われており、昭和9年の水害を受け、より確実な防災を図るため後楽園の東に支流を流すことになり、現在のような完全な中州となりました。

 戦後の建物の復元は、昭和27年に茂松庵、33年に能舞台・観射亭・射場、35年に延養亭、42年に栄唱の間が復元され、一連の復元事業を終えています。これにより、藩主がかつて使っていた建物の機能や庭を眺めていた視点がよみがえったのです。
 後楽園は藩主のやすらぎの場としてだけでなく、時には領民の入園も許し、ともに楽しむ庭でもありました。
 綱政が、いつまで眺めていても飽きない、と喜んだ気持ちは今なお生きており、美しい景色が私たちの心を和ませています。

「後楽園平面図」昭和13年 『調査報告』より
延養亭からの眺め

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